女医明妃伝 主人公について
華流ドラマ"女医明妃伝〜雪の日の誓い〜"に出てくる中医学の用語などを国際薬膳師が解説します。(多少のネタバレあります。)
このドラマは、実在した女医譚允賢(たんいんけん)をモデルに、
彼女が名医になるまでを描いた、中国の宮廷が舞台のストーリーです。
目次
いつの時代?
ドラマの舞台は、中国の明の時代中期。
6代皇帝、英宗正統帝〜7代皇帝、代宗景泰帝の時代にあたります。
年代でいうと、1435年〜1464年くらいです。
日本ではちょうど室町時代、6代将軍足利義教(足利義満の子)〜7代将軍足利義政(銀閣寺を建設した人)の時代となります。
当時の社会事情は?
この頃の中国では、朱子学が隆盛を極めた時代で、
女性の身分は男性よりも低く、女性の活動は制限されていました。
女性は男性のように仕事をすることは認められておらず。
医術に携わるのは男性だけで、女性の医者は存在しませんでした。
普段、女性は男性の前に姿を見せることを慎まねばならず、
夫以外の男性が女性の肌などに触れるのはタブーとされていました。
なので、女性は医者に診てもらうことなく体の具合が悪化し、命を落とす女性も大勢いたそうです。
身分の高低は、関係ありません。ドラマの中でもそのようなシーンがあります。
そんな時代の中で医師になった允賢のもとへは、病に苦しむ多くの女性が助けを求めてきました。
允賢の医術は実力も相当なもので、とても評判になりました。
主人公の允賢は、ドラマの中では譚允賢と、杭皇后を合わせた人物、杭允賢として描かれています。
譚允賢について
譚允賢(たんいんけん)
1461年〜1556年←1554年没という説もあり。
90歳を超える長生き!
漢の時代の義妁、晋の時代の鮑姑、宋の時代の張小娘子とともに中国の四大女医と言われています。
代々医師の家系に生まれる。
幼い頃から多くの医学書を読み、祖父母や父の影響を受けて医術の研鑽を積む。
1551年に、「女醫雑言」を著した。自分が実際に診療した患者の治療実績や、家に伝わる医学の知識などが書いてあり、主に婦人科に関する治療について掲載。
杭皇后について
杭皇后(こうこうごう)
1427年〜1456年
7代皇帝、景泰帝の妃。
元は側室であったが、景泰帝が汪皇后を廃して皇后になりました。
1452年に景泰帝が皇太子の朱見深(英宗の息子)を廃して、杭氏が産んだ朱見済を皇太子に即位させました。
汪皇后は反対しましたが、景泰帝が怒って汪皇后を廃位し、杭氏を皇后に立てました。